トーテミズムと先祖信仰 [伝統文化のコスモロジー]

先祖信仰は、その内容に若干の違いはあれども、世界のほとんどの伝統的な文化に見られました。
祖霊の最大の特徴は、個々人の個性を脱した普遍的な霊魂という点です。


<アニミズムとトーテム祖先>

原初的な狩猟文化・部族文化の宗教は、「アニミズム(精霊信仰)」だと言われます。
つまり、人間、動物、植物、さらには、石のような自然物、天体にも、魂が宿っていると考えます。

魂の本質を、非人格的で創造的な「力」であると考える場合は、「マナイズム」などと呼ばれる場合もあります。

何かに宿る、あるいは、何にも宿っていない魂や精霊は、通常は見えません。
ですが、非日常的な時間・意識の状態では、様々な姿で現れて、時には人間のような姿と言葉で語ります。

ですから、原初的な(狩猟)文化では、人間の魂と他の存在の魂(精霊)には本質的な差はないのです。
地上世界での仮の姿が異なるだけです。

現代人は頭ではアニミズムの世界観を信じていませんが、実際は、誰もが無意識的にはアニミズム的な世界を生きています。
様々なものに共感する、擬人的な表現をするという人間的な心情は、アニミズムが基盤になっています。

狩猟文化では、すべての人間、生き物の魂や天体は、地上世界と冥界の間を循環します。
多くの部族では、冥界では人間の魂は、やがて「祖霊(先祖霊)」になります。

「トーテミズム」と呼ばれる信仰を持つ部族社会では、人間の先祖を「トーテム祖先」であると考えます。
「トーテム祖先」は、人間と、動物、あるいは植物、自然物や天体などの魂が融合したような存在です。

ちなみに、現代の進化論も、人間の祖先は、遡るほど人間と他の生物との未分化な存在になります。

トーテムの体系は、一つの部族が共有し、特定の「トーテム祖先」は、部族の中の特定の氏族に固有のものです。
つまり、トーテムは、部族内で氏族を区別する標識です。

例えば、ある氏族のトーテム祖先が「カンガルー」だった場合、その「カンガルー」は、すべての氏族の人間の魂と、カンガルーの魂の元となる根源的魂です。
その分霊が、たまたま地上世界で、仮の姿として、人間として生まれたり、カンガルーとして生まれたりするのです。

トーテムの体系は、結婚制度や食のタブーと強く結びついています。
また、部族によっては、あらゆる存在が、何かのトーテムに分類されます。
つまり、トーテムの体系は、すべての存在を分類する普遍的分類体系、象徴体系なのです。


<祖霊信仰>

新石器時代以降の農耕文化になると、動物とのつながりは薄れ、穀物の生育は人間が管理するようになりました。
おそらく、そのため、人間の魂と他の生き物の魂が、別のものとして区別されるような傾向が生じたのではないでしょうか。

神々や自然の精霊達は必ずしも人間の味方ではありませんが、人間の「祖霊(祖神)」は部族の秩序を守り助けてくれる存在です。

彼らは神の意向を人間に伝えたり、逆に人間の望みを神にとりなしたり、様々な知識を人間に伝授したりします。
また、穀物の豊穣を見守ります。
そして、部族のメンバーを常に監視して、規則を犯した者を罰するとも考えられていました。


<死後と再生>

一般的な先祖信仰では、死後の人間の魂に関して、次のように考えます。

死んだ人間の魂(死霊)は、洞窟や山、川、海などを通って、地下、島、天上などの死者の世界に行きます。
そして、徐々に個性を脱しながら、数十年かかって、集合的な「祖霊(祖神)」に溶け込みます。

アフリカのある部族では、個性を保っている段階の先祖は厳格な性格を持っていて裁く役割を果たし、個性を失った「祖霊」は寛容になって見守ると考えます。

そして、やがて、分霊して、同じ血筋の子孫に生まれ変わります。

ですが、正常ではない魂は、死者の世界に入って「祖霊」になれず、地上を彷徨って死霊のままにとどまり、人間に災いをもたらすと考えられました。
例えば、あまりに悪行を行った人間、恨みを持って死んだ人間、異常な死に方をした人間、若くして死んだ人間、子供を持たずに死んだ人間の魂などです。

また、生まれてまもなく亡くなった場合は、再度、生まれ直すことになります。

また、偉大なシャーマンや英雄的な人間は、個性を残したまま天上などのあの世にとどまり、「祖霊」に溶け込むことも、生まれ変わることもないと考えられました。

死後の人間の魂は徐々に個的な性質を落としていくので、死後の魂、「祖霊(祖神)」には様々なレベルを考えることができます。

・個人的な人格を残した死霊
・氏族としての集合的な祖霊  :氏神、氏族の始祖、トーテム祖先
・部族としての集合的な祖霊  :部族の始祖
・人間全体としての集合的な祖霊:原人間、最初の人間
・生物全体としての集合的な祖霊:至高神の最初の分霊

これはあくまでも理論的に区別できるということであって、各部族がこれらの階層を区別しているということではありません。

「祖霊」は、個的な性質を落とした人間の普遍的で純粋な魂です。
そして、エネルギーに満ちているので、人間とは違った姿をしていて、仮面の姿で現させることも多いようです。

個性を脱した魂というのは、未分化で様々な可能性を秘めている存在ということです。
各氏族のトーテム祖先は特定の特徴を持っていますが、トーテム体系全体を所有する部族の祖先は、そのような個別の特徴は持ちません。


<祖霊と浮遊霊の心理学>

人間の人格は、生まれたばかりの時にはなく、特徴もほとんどありません。
成長し、社会人になるに従って、形成されていきます。

人格は、親/子、男/女、兄弟姉妹、夫/婦、職業…といった様々な性質=ペルソナを鋳型として作られていく側面があります。
その時、潜在意識には、多数のペルソナが作られ、意識はその一方か一部に自己同一化します。

例えば、親と向かい合っている時は子として、子と向かい合っている時は親として、妻と向かいあっている時は夫として、上司と向かい合っている時は部下として、客と向かい合っている時は店員として…などなど、その時々にペルソナを付け替えます。
人間の人格はそのような複数のペルソナの複合体です。

ですが、一人でいる時の人格は、誰かと対している時より、いくぶん透明な、細分化していない特徴の少ない存在になります。
ですが、ユングが主張したように、無意識にはその人の意識にあらわれていない特徴が潜在しています。

無意識全体を考えると、人の魂の特徴は、誰もが多様です。
様々に分化したペルソナ的人格もあれば、未分化な人格的要素もあります。

また、ある人にとっては、付き合いのある他人の人格は、すべて無意識の人格の一つです。
神々や精霊も一種の無意識の人格です。

ですから、通常の人間の意識的な人格は、魂の可能性のごく一部でしかありません。
社会的な制約や意識的な自我の制約をなくすと、通常の人格の多くの部分は、溶けて普遍化していきます。
死後の魂は、そのようにして「祖霊」になっていくと考えられたのでしょう。

死後の魂が普遍化していくと考えることは、宗教や神秘主義、シャーマンなどの修行によって、人格を統合・変容させていくことと似ています。


また、異常な人間の魂が、「祖霊化」せずに浮遊霊となって地上の人間に悪い影響を与えるとする考え方には、心理的には、抑圧や後悔、強いショックなどに関わる、未完了なままに残された心的要素に現れる現象と類似しています。

本来、意識に現れる心的要素は、意識によって何らかの処理、受容が必要なものであって、そういった作業を完了する必要があります。
「祖霊」になっていく死霊は、そのような完了した、あるいは、完了に向かっている心的・人格的要素と似ています。

それに対して、処理されずに抑圧によって無意識に送られた心的要素(コンプレックス)は、時には強迫的に、意識に何度も再帰し続け、心身を脅かしたり、意識の変容を迫ったりします。
強いショックを受けた体験の記憶や、後悔なども、このような心的現象を引き起こします。
こういった未完了な心的要素は、人間に悪影響を与える浮遊霊と似ています。

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